わたしのあした~発達障害とともに生きる できない人がいじめられることのない社会へ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

できない人がいじめられることのない社会へ

発達障害の人は、学校や社会で、いじめに遭うことが多いようです。
その原因は、コミュニケーションの未熟さや、障害ゆえに苦手だったりできなかったことをからかわれたり。
最近だと、「空気が読めない奴」などといって仲間はずれにされてしまうのでしょうか。

私も例にもれず、学校でも、職場でもいじめに遭いました。おかげで人がすっかり怖くなり、自分から積極的に人と関わろうとはしなくなっていきました。そのために、結婚して子どもができても、子どもの幼稚園や小学校で、いわゆるママ友だちとは無縁でした。全くいなかったわけではないけど、すごく少なかったです。
元々雑談が苦手だし、空気を読むのが下手なのでどうしても浮くし人を傷つけるしで、友達はいないほうがいいのかもしれません。
恐らく発達障害の人の中には、私と同じような考えになってしまっている人も多いような気がしています。

でも、どうして、できない人はいじめられるのでしょうか?
「できないから、いじめられても仕方ない」、という人はたくさんいますし、私も何度かこの言葉を耳にして、自分ができないのだから仕方ないと、どんなに悔しくてもやり場の無い怒りや悲しみを抑えてきました。

「できない」ことはいじめられる本当の原因でしょうか?
それは違うと思います。いじめる側の、単なる言い訳に過ぎないと考えています。

本当はいじめる側にも、心理的な問題があって、それを発散するために、何かできない人をターゲットにして、ストレスのはけ口にしているだけではないかと、私は考えます。

いじめられる側にも原因があるなら、いじめる側にも原因があります。いじめられる側の原因についてはあれこれ追求されるけれど、いじめる側の原因について何の追求しないのは、片手落ちではないでしょうか。

できない人がいじめられる社会は、私はもうたくさんです。
どうかこの世からいじめがなくなることを、強く願います。


にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 成人発達障害へ
にほんブログ村
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

こちらでは初めて

ブログではお世話になっています

さて僕が発達だと気が付いたのは大人になってからでしたが
症状としては小学校のころからありました。そうしたことと背が低い
運動が苦手などいじめる側からすればその対象のなる工法がいくつも重なっていました。

確かに何かの心理的な面でそれを発散させるためにいじめるというのは以前新聞にも掲載されていたのでそうかもしれないですし、もし何も心理的な問題がなければ態々そんなことをしなくてもいいはずですからね

でも生きている以上心理的な問題を抱えないというのは無理何ですよね、それでももう1つどの人にも出来ないことがあるのもまた当然です。
「人と人は違って当たり前」簡単なことなんですが、意外とこれが呑み込みにくいのですよね、尚アメリカでは様々な人種や文化を持っている人が多いことから「違って当然で、違和感を感じても相手の立場になってものを考える」という事が自然となされているようです。

そうした「尊重」を理解するためにも多くの考えがいることを知らないといけませんしいじめに対しても「誰?」ではなく「なぜ?」なのかを
突き詰め、軽減して聴きたいですね。

スモッドさんへ。

コメントをありがとうございます。

全然関係ない話で申し訳ないのですが、今日、火垂るの墓をみていました。
幼い兄妹の立場から見ると、おばさんはなんて冷たくて意地悪なんだと思いますが、おばさんの立場からすると、また違った感想を持つ自分がいました。
戦時中、幼い妹を守るには、理不尽な仕打ちに耐えなければいけなかったのです。世の中には理不尽なことがたくさんあります。でもそれに耐えて行かなければ生きられない矛盾を強く感じます。
戦争は、一番弱者であるものに、牙をむくものです。
社会とは、そういうふうにできているのかもしれません。
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。