わたしのあした~発達障害とともに生きる 発達障害の生きる道

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発達障害の生きる道

発達障害を語るときに、
エジソンやアインシュタインの話をするとダメですね。
先日、これははっきりと自覚したので、
今後は極力避けるつもりです。

前からこの手の話はダメだよなあと
自覚しながらあえてしたのは、

『昔は(社会がある意味未成熟だったから)
発達障害ぽい人にもそれなりに居場所があった』。

単にこのことを言いたかっただけなんですよね。

それで、一番ポピュラーな例えとしてかれらの名前をあげさせて
いただいたのだけど、結果として失敗でした。

それは、それでいいのだけどね。

発達障害を抱えて生きる、って言うけれど、
発達障害がなくても、人は限られた条件のもと、
それぞれの生き方を選択して生きてる。
ただ、発達障害があると、その幅がどうしても狭く
なってしまうかもしれません。

けれど、発達障害があっても、『生き方は考えたらいろいろある』。

ここは定型発達も発達障害者も同じことが言えると思うんですよね。

発達障害者の場合、
いわゆる定型発達の人の『ふつう』の生き方を選択すると、
失敗することが多いかもしれません。

それは、成熟した現代社会では、常に効率化を求められ、
それを求められない人材は切られる傾向になってしまったから。

私はそう考えています。

発達障害の人ほど、自分の適性にあった進路選択を
求められるところが大きいと思います。

障害者枠で一般企業へ就職するのもひとつの道だし、
徹底して自分の適性にあった生き方にこだわるのも
ひとつの道だし、
考えたらいくらでもあると思うんですよね。

ただ、その道を実際選んだときに、
何かを犠牲にしなきゃいけない。

でもこれは発達障害者に限ったことじゃない。

発達障害があることで、生きる選択肢は限られることは
あるかもしれないけれど、
選択肢は必ずあって、どれを選ぶかは自分次第。

そして誰にとっても、
何かを選択することは、同時に何かを犠牲にすることなんですよね。

犠牲にするからこそ、その選択肢を選び取ったことで得られることが
どれほど自分にメリットがあるかということも、同時に考えなきゃいけないけれど。

そんなわけで、私は一度はやめようとしたライターの仕事を
やめるのをやめました。

やっぱり、文章を書いているときの自分の気持は楽しいし、
充実してるし、やり遂げたときの満足感もある。

だから私は、ライターを選ぶ。

これだけじゃ全然生活できないけど。

スキルアップしていけば、人生終えたときに何かが残ると思うのね。

もちろん、これだけで生活成り立たないから、
作業所にも通います。

支援者さんには、「少しずつ慣らしていきたいから」、
と、話すつもりでいます。

発達障害者として生きる
よりも、
自分としてどう生きるか。

このことを考えるほうが大事だと思う今日このごろです。

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