わたしのあした~発達障害とともに生きる 「私の名は?」

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「私の名は?」

私が2歳6ヶ月の時、妹が生まれた。
アルバムには、妹を抱いた私の写真が残っている。

私が、妹を妹として「認識」できるようになったのは、多分小学生以降じゃないかと思う。

生まれたばかりの頃は、「これは誰なのか?何なのか」わからなかったと思う。
妹がかわいいとか、そういう気持ちは抱いたことがあまりなかった。
なにより妹と遊ぶよりも、人形やぬいぐるみで遊ぶほうが好きだった。

それでも、母に言わせると、妹とは喧嘩をよくしていたらしい。
何故喧嘩になったのか?
多分私は、妹が私の遊びを邪魔する存在だったからだ。
妹と喧嘩すれば、当然私が怒られる。
「お姉ちゃんだから…」。
あまり妹と喧嘩するせいか、お姉ちゃんと自覚を促すためなのか、わからないが、母は私のことを、私の名前ではなく、「お姉ちゃん」と呼んだ。

私はそれに対して、非常に違和感を感じていた。

「私はお姉ちゃんなんて名前じゃない!」。

でも、言い返せなかったのは、どうせ怒られるから、だった。

私がかなり大きくなるまで、母は私を「お姉ちゃん」と呼んだ。だから、私も、そのうちそれが普通みたいになっていった。

妹が生まれて以来、母は私よりも妹が好きなのだと感じていた。
喧嘩して怒られるのはいつも私のほうだったし、買い物にでかけて、妹はよくものを欲しがって泣いたが、大抵母はそれに折れて買ってあげていたように思う。

「私なら、どんなに欲しがってもいつも我慢させられるのに…」。

反論すると、いつも怒られた。親に向かってその口の聞き方は何?という感じだった。
だから、母に対して言いたいことはいつもいえなかった。

でも、妹がどんなにだだをこねても母は妹の言いなり。
私は「お姉ちゃん」なのに、妹には、ちゃんと名前で呼んでいた。

「お母さんは私よりも妹のほうが、好きなんだ」。

それは、私が大人になってからの、母の言葉ではっきりしたように思う。
「○○ちゃん(妹)のほうが、よく気がつく優しい子だと思っていた」。

やっぱり、母は妹のほうが好きだったんだ。
私は、母の言いなりにできるから都合のいい存在だったんだ。

私は、子どもの頃、一人っ子に憧れていた。
一人なら、邪魔されずに遊べるし、私の欲しいものも、いまよりもっと買ってもらえただろう。
比べる対象がいないから、母はもっと私のほうを向いてくれただろう。

よく、そう思っていた。


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