わたしのあした~発達障害とともに生きる いつでも夢を

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夢はいつか叶うって、まんざら嘘でもないのかも。

私は今、仕方なく、作業所に行って、地道な仕事をやっています。
生活のためだけど、単調な仕事でも奥が深い、と言うか、ちょっとでもいい仕事をしようと考えながらすると、つまらない仕事でもそれなりに面白かったりします。

そして自宅に帰って、ちょっと用事して、一休みして、ブログを書いて。

そんな私が、インターネットという媒体を通して自分の書いた文章を公開できるって、すごいことだと私は思っています。

もちろんそれで生活できるわけじゃないけれど、自分の書いた文章を、たくさんの人に読んでもらいたい、という、若い頃からの夢が叶っているのですから。

このまんま、しがないブログ書きのまま終るか、これをきっかけに何か違う才能が花咲くかは、全く見当がつかないけれど、いずれにせよ、こういう形で夢が叶っているのは、ひとえにインターネットのお陰だと、思っています。

自分ひとりの力では到底叶わなかった夢が、別の、もっと素晴らしい才能の持ち主が考えた、インターネットという媒体によって、自分の夢の一部とはいえ、叶えられたことは、私はもちろん、私と同じ志を持つ人の夢もかなえているということになります。

考えたら、すごいことです。

インターネットの弊害はもちろんあるけど、こうして、誰でも自分の考えていることを発信できることは、やはりすごく素晴らしいことだと私は思います。

ただ、ちょっとだけ残念なのは、誰でも情報を発信できる手軽さから、よく考えずに無造作に情報を発信している人がいる事でしょうか。

私がインターネットを始めた当時は、ネチケット(ネット上のエチケットという意味)という言葉があったのだけど、今はそれほど意識されなくなっているようで複雑な思いに駆られる時がしばしばあります。

問題もなくはないけれど、夢はいつか叶うって、まんざら嘘でもないのかなと、思ったりしています。

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百均の色鉛筆で

もう2,3年くらいは前になるでしょうか。
まだ、介護士として頑張っていた頃、百均で色鉛筆を買いました。
でも、この色鉛筆は残念ながら、色鉛筆の役割を果たしてくれなかったのです。
そう、色が全く出ないのです。薄い色しか塗れなくて、買ったことをとても後悔しました。

私が中学2年の頃、夏休みに課題で描いたポスターを見て
「お前、美術のセンスあるぞ」といってくれた先生。
あの言葉が本当なら、たとえ百均の色鉛筆でも、今でも、何かを描くことができるかもしれないと
思っています。

でも、今の私は、たとえどんな高価な画材があっても、何を描いていいのか、わからなくなっています。
中学の頃、絵は天職だと思ったくらいなのに、不思議と今はさっぱり何も描きたいものが浮かんでこないのです。

魔女の宅急便の、主人公キキの友だちが、
「描きたいものが見つからないときは描かない、描きたくなるまで待つ。」
そういっていたように、私にも、心にゆとりができて、描きたいものが見つかるまで、
待ってみようと思います。


もしも本当に私に美術のセンスがあるなら、きっと今も自分の奥底に眠っていて、
それはなにかのきっかけで、再び目を覚ますことでしょう。

今年の秋は、紅葉の赤がとても美しいです。
百均の色鉛筆でも、何かを描く日が来るかもしれません。

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ぱっとしない人生に花を

「東京に行って、漫画家になる!」
とはいいながらも、絵の勉強をする学費どうするの?
一人暮らししたら、ある程度は自分でアルバイトして稼がなきゃいけないよ。

それになにより、親が、こんな浮いた、努力しても必ず実る保証もない、浮いた商売に賛成してくれるはずもなく。

結局親に説得されて、就職することにした。

進路相談した時、母は
「あんたは何もできない、進学でもすれば?」
と、言いながら、後になって学費は出せないと、就職を強く勧めた。
それに負けて私は、就職の道を泣く泣く選んだのだった。高校二年の秋だった。

就職してからは、絵を描きたい、という情熱も、いつのまにかなくなっていった。
自分には才能がないって諦めたというか、周囲に流されて、平凡に、結婚して家庭を持つという、世間的に地に足のついた生き方を選んでいった。

…その結果、個性も存在感も協調性も花もない、ぱっとしない人生を、今歩いてる。

それで、わかったことがある。

努力したら必ず実る仕事なんかない、ってこと。

会社にいたって、窓際族みたいな存在だったら?

やっぱり個性も存在感も協調性も花もない、ぱっとしない人生だなって思うんじゃないだろうか?

でも、いいえ、それが悪いっていうんじゃない。

たとえ自分の人生が、花もないぱっとしない人生でも。
夢を一つ持つだけで、そんな人生に小さな花を添えることができるんじゃないか?
それで、いいのではないだろうか?

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「おら東京さ行くだ」

もの心ついた頃から、私は絵を描くのが大好きだった。
幼稚園~小学校低学年くらいまでは、テレビアニメのキャラクターを真似して描いた。

小学校高学年になると、漫画「キャンディ・キャンディ」が大ブームになり、「なかよし」「りぼん」などの少女漫画雑誌を夢中で読んでいた。
漫画を読むようになって、私の絵を描く情熱はさらに加速し、漫画のイラストを真似したり、自分でオリジナルのキャラクターを考えて、描くようになった。そして、そのキャラクターを主人公にして、ストーリー漫画を描いた。今にして思えば、既成作家の真似の部分もかなりあったけど、当時は真剣に描いていた。ペンネームも考えて。でも描くといっても、ノートにコマ割りして鉛筆で描いていたのだから本格的な漫画とはとても言えなかった。でも、クラスの仲のいい子に見せたりして、ちょっとした漫画家気分に浸っていた。

中学に入って、宇宙戦艦ヤマト、機動戦士ガンダムなどアニメブームが到来すると一転して、少女漫画からアニメに関心が向いた。当時から宮崎アニメは注目を浴びていたが、中学2年の頃から愛読していたアニメ雑誌「アニメージュ」で80年代初頭から連載された「風の谷のナウシカ」(のちに映画化)が、アニメファンの間で高い評価を受けていた。

そのころから、少女漫画からいろいろなイラストに興味が沸くようになった。ちょうど、中学3年のときの担任が美術教師だった。だから、思い切って
「私、漫画家になりたいんです!」
と宣言した。当時はメルヘンタッチの絵を中心に描いていたけど、やっぱり物語性のある漫画が描きたかった。あの頃の私は授業中、窓の外の風景を見ながら、ノートにこっそり漫画を描いているような、一見真面目、でも実は不真面目な生徒だった。

でも、中学3年の担任は、私の夢をそっと背中押してくれた。私の絵のいいところ、技術を上げたほうがいいところを指摘してくれた。そして、2学期の終わり頃、美術の本を何冊か貸してくれた。

その本を眺めながら、漫画家になるんだったら、やっぱり東京よね。
そうだ、高校卒業したら東京に行って、絵の勉強をしよう。
「東京に行こう!東京にいって、漫画家になるんだ!」

現実の厳しさなどまだ何も知らない、15の冬。
当時、吉幾三が歌う「おら東京さ行くだ」が、街を流れていた。

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